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明鏡寺

川崎市のお寺、明鏡寺の各種情報

天台宗について

川崎市には、歴史が多く残っています。明鏡寺以外にも、川崎市には天台宗のお寺がとても多く残っているのです。妙法寺、西福寺、龍台寺、延命寺、能満寺、養福寺、増福寺、少し数えただけでもこれだけのお寺が集まっています。なぜ、川崎市には天台宗のお寺がこんなにたくさんあるのでしょう。それは、かつてこの川崎市橘地区には、古東海道である東山道小高駅があったからだと考えられています。伝教大使の最澄をはじめ、天台宗のたくさんの僧侶が川崎市を訪れて伝道に力を入れていたようです。お寺が多いのは、そういった歴史的背景があるからでしょう。

川崎市に数多くある天台宗の歴史は古く、中国の浙江省天台県にある天台山から始まります。中国隋代に智顗(ちぎ)が天台山を修業の地とし、弟子の養成に努めた後に天台宗を確立させました。そして、その天台宗を日本に伝えたのが最澄でした。

最澄について

最澄は、天平神護2年、近江の国で生まれました。利発で聡明だった最澄は、幼いころからお寺で修業を続け、38歳の時に遣唐使にしたがって唐に渡っています。そして、天台山で修業をして天台宗の教えを授かったのです。

最澄は日本に帰国してから比叡山延暦寺で天台宗を開創しました。その比叡山では、日本仏教の各宗の祖師が学んでいます。法華経にはすべての人々が仏になることができると説かれており、その教えは今日まで受け継がれています。

伝教大使である最澄はかつて「一隅を照らす」という言葉を天台法華宗年分学生式に残しました。この言葉を現代にも生かしていこうと、1969年から天台宗では一隅を照らす運動をしています。天台宗は、心の豊かさを見失わないよう、毎月4日の伝教大師ご入滅日を一隅を照らす日としています。

阿弥陀如来について(このお寺を本尊としています)

仏教は、約2500年前に生まれたお釈迦様の教えです。インドで生まれた初期の仏教が長い時を経て中国へと伝わり、伝来する中で中国的な特徴も入ってきました。日本に伝わる大乗仏教では、仏教の開祖であるお釈迦様の如来が生み出されています。如来とは、本来お釈迦様の名称です。代表的な如来として釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来があり、四如来といわれています。これらの如来は、古くから信仰の対象とされ、川崎市のお寺にも大切におまつりされています。

川崎市の明鏡寺では阿弥陀如来をご本尊としておまつりしています。阿弥陀如来は、西方極楽浄土の中心にいる仏様です。阿弥陀如来は多くの宗派に尊崇されており、日本のお寺で一番多くまつられています。

どのような人でも心から極楽浄土に行きたいと願って念仏を唱えれば、必ず浄土に行けるというのが阿弥陀の本願です。極楽浄土は阿弥陀如来が住んでいる世界で、経典には黄金や宝石でできており、良い花の香りに満ち、美しい音楽が流れ、といった美しい様子が描かれています。そのため、極楽浄土に成仏したいという考えから、川崎市のお寺にも阿弥陀如来像が多くまつられるようになり、現在も広く多く信仰されています。

川崎市高津区には天台宗のお寺が数多くあり、今でも木造や銅像の阿弥陀如来の坐像、阿弥陀如来立像を見ることができます。また川崎市のお寺では、木造、銅像、立像、座像などのたくさんの阿弥陀如来像がまつられています。阿弥陀如来は特徴があまりなく、手の形で見分けることができます。親指とほかの指で丸を作っているのが特徴で、九種類に分かれ特別な意味を表しています。阿弥陀如来像には光背があり、普通の光背の像、船の形や放射線状の線を持つ像が多いといわれています。川崎市のお寺には、阿弥陀如来像が多くまつられていますので、寺院めぐりをされる際には、ぜひ注目してごらんになってみてください。

六地蔵(境内にあります)

地蔵は、「お地蔵さん」「お地蔵様」といった親しみを持った呼び方をされています。お地蔵さんは、本来「地蔵菩薩」といわれ、お寺や路地などにも子供の守り神として多くまつられています。川崎市にはお地蔵さんだけでなく、道のあちこちに石造物がたくさんあります。

川崎市のお寺、明鏡寺も六地蔵さんを大切におまつりしています。日本では平安時代から地蔵菩薩の信仰が盛んになりました。大乗仏教の地蔵菩薩に関する大乗的な経典である地蔵菩薩本願経によると、一日も早く如来になり人々を助けたいという願いをたてたインドの王様が地蔵菩薩になったとされています。

地蔵菩薩は日本に伝えられてから、独自に発展してきました。お寺などでお地蔵様を六体一緒におまつりする六地蔵は、日本独自の仏教信仰であり今日まで大切に厚く信仰されてきました。川崎市のお寺、明鏡寺でも六地蔵さんを大切におまつりしています。

では、六地蔵さんは、いったいなぜ六体並んでまつられているのかご存じでしょうか。実は、「六」には深い意味があるのです。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅同、人間道、天道という六道、六つの世界があると考えられています。そこで、六地蔵様はそれぞれが衆生の苦しみを救ってくださるのだといわれているのです。

六地蔵さんは、日本のお寺、村の入り口やあぜ道、墓地や峠道などの野外に安置されています。川崎市内にも、お地蔵様がたくさんまつられています。子供に恵まれなかった夫婦が巡拝したところ子供を授かりそのお礼に建てた地蔵尊は今も護られ、巡礼者が多くおとずれています。川崎市をめぐると街並みの中に、お寺の中に、お地蔵さんがとても多くまつられていることに驚くでしょう。川崎市の皆様に厚く信仰され、今も大切にされています。

水子地蔵尊(境内にあります)

地蔵菩薩は仏様として地獄に赴き、苦しんでいる人を助けるといわれています。そして、幼くして亡くなり賽の河原で泣いている子供の霊を慰め助ける地蔵菩薩の話は、地蔵和讃の貸にもなっています。地蔵和讃は、数百年も前から語り継がれている深い悲しみが感じられる和讃です。地蔵菩薩は、こうしたことからも子供と関わりが深く、子供の守り神とされています。子供のすがたをしたお地蔵さんが多いのは、そのためでしょう。

川崎市のお寺には、お地蔵様が多くまつられています。そのためか、水子供養を行っているお寺も川崎市には多くみられます。水子の供養というのは、宗派を問わないことが多く、何よりも供養の気持ちが大切といわれています。川崎市高津区にあるお寺、この明鏡寺でも水子地蔵尊をおまつりしています。悲しみの中にいる方でもお寺で供養すれば前向きな気持ちになれると考えられています。

明鏡寺は川崎市の高津区にあるとても静かな環境にあるお寺です。この世に生を受けることができず、亡くなったちいさな命を静かに供養しています。水子供養は、地蔵菩薩にお父様、お母様の代わりとなって無事に極楽浄土へ旅立てるように供養する儀式です。お寺での供養はなくなったお子様のためだけでなく、ご家族のつらさや不安を慰めるためにも大切なことと考えられています。

川崎市明鏡寺にまつられた水子地蔵尊は、水子を極楽浄土へと導いてくださいます。4月の第一日曜日には水子供養をしております。宗派のことなどはいつでも川崎市の明鏡寺へお問い合わせください。

明鏡寺について

松林山安楽院明鏡寺は、神奈川県の川崎市、高津区の小高台にある歴史のあるお寺です。室町期に僧、実海によって建立されました。川崎市末長の杉山神社の別当寺としておかれていましたが、お寺の本寺深大寺学術総合調査報告書によると開基不詳です。昭和20年に川崎市の戦災空襲により本堂客堂殿等建物を焼失していますが、壇信徒により平成7年に再建されたと完成記念碑に記しています。

川崎市の明鏡寺は、天台宗のお寺で、比叡山延暦寺を総本山としています。かつて古今集で「向かいの丘」と呼ばれたといわれるこの地域には、天台宗のお寺が数多くあります。その昔、最澄や天台宗の僧が伝道したからではないかといわれています。焼失を乗り越え、川崎市の地域の檀信者に支えられ、ここまで歩んできました。

お寺には、阿弥陀如来を本尊としておまつりしています。すべての生を持つものは仏様になる可能性があると教えている法華経を中心に釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩などの仏様を等しく崇めています。

お寺では年中行事として、4月の第一日曜日には、地蔵まつり、水子供養、はなまつりが行われています。6月の第一土曜日は、大施餓鬼会が行われています。境内には、先祖供養のための三重塔、水子供養の水子地蔵尊、観世音菩薩があります。

また、明鏡寺には「松林会館」という葬儀斎場を併設しています。式場内は最大で70人が着席でき、川崎市の民間の葬儀会場として、少人数の家族葬はもちろん、お通夜からお葬式まで行うことができます。近隣のかたに多く利用されています。

川崎市のお寺|開山寛永5年・明鏡寺